ぽちぽち歩くと下に落ちてる物に気がつくよね

思いついたことを書き留めておく場所なのです。意味はあまりないんじゃないかな

村田兆治さん、亡くなる……

朝方、都内で火事があり住人が重症、村田兆治さんと思われる。というNHKのニュース一報が入り、
村田さん?
と、思いつつも続報で、

www3.nhk.or.jp

亡くなった、とのニュースに…….

ロッテ時代70年代の大エースのときはあまり知らず、日ハム(東映)相手にストレート+フォークで来るものすごい一本気な人で、打球が内野ゴロかもしくは三振(そしてたまにホームラン)という感じでみていました。
ファンになったのは落合の二度目の三冠王の時に「サンデー兆治」として、ジョーブ博士のひじの手術からの復帰からでした。
独特のマサカリ投法は健在で、昔よりも急速は落ちたものの、より打ちにくくなっており(そして暴投も増えw)手術からのエース復活としてNHKなどにも取り上げられるようになったころです。
落合が打って村田が投げる。
当時のロッテはリー兄弟や有藤さんなどの個性派ぞろいでしたが、一歩二歩西武に届かず、面白いのになぁもうちょいだなぁ。と思っていたものです。
そして、89年ごろ200勝に届くかどうかの時にまた人気が出てきていろいろと追いかけて球場にいったりしたものでした。
川崎球場や、東京ドーム中心でしたが、200勝出来たときに生で観たこと、12回投げきっての0-0での引き分け試合を観たことなどが思い出に残っています。

そこから、90年引退してダイエーのコーチになり低迷していた王時代の初期のダイエー投手の育成に励んでいましたが、優勝出来たのは村田さんがコーチを辞めた後のことでした。

OB戦でも活躍していて、50代や60代でもびゅんびゅんと130km/h台のストレートを投げ込んでいて「すごい」「素晴らしい」と思っていたものです。

最近、空港での暴行事件を起こしてしまい、球界のお仕事を辞任されていたのを気にしていました。それがきっかけでこういうこと?とは思いたくないですが……. もっと、コーチとしての村田さんの野球をみていたかったですし、解説の村田さんの話も聞きたかったです。
残念です。

黙とう