ぽちぽち歩くと下に落ちてる物に気がつくよね

思いついたことを書き留めておく場所なのです。意味はあまりないんじゃないかな

小谷野栄一という選手の引退

日本ハムのファンであるので、02年のドラフトで指名され03年のイースタンで.303打ち最多安打と14本塁打 .303とすぐに使えそうと期待を持ったのを覚えている。これは使えそうな若手が来たなって
が、先発として使えるかな? というところで襲われるパニック障害。そんな中コーチとしていた福良淳一と二人三脚でゆっくりと付き合っていき収めて行く。
あたりまえの事があたりまえに出来ないのがパニック障害。球を捕る。掴む。投げる。プロの選手なら「そんなこと言われなくても身体が出来る」
そういうことが出来なくなる、パニックになってしまい「え、なんで?」となるのがパニック障害
出来ることが出来ないというのが、どんなに辛いことか。どんなに言われても「判ってるんだよ」といういらだちしか出ないだろうに……
そして、そんななか一緒に付き合ってくれたのが福良淳一というコーチ
その福良と二人三脚して一歩一歩慣れていき、レギュラーを取り、
2010年本塁打16本の打点王 (109打点) になる。20本塁打以下の100打点というのは少ないが、この年は本塁打が出なかった統一球の影響もあり、小谷野の他に阪神の新井(19本112打点)鳥谷(19本104打点)ロッテの井口(14本103打点)と4人居る
他に翌11年の西武中島(16本100打点)、16年の広島新井(19本101打点)ソフトバンク内川(18本106打点)と少ない。
20本塁打以下の打点王というのも、8人しか居ない極小の記録だったりする。
それから小谷野はレギュラーと控えをいったり来たりするのだが、若手がそだって来たのとFAを取得する。
手をあげたのは、残留要請した日本ハムや好条件の西武とオリックスだったが、小谷野が決めたのは福良のいたオリックスだった
オリックスでは左足の故障が再発し、中々レギュラーを取れなかったが、17年に130試合出場し、打点王の時の10年以来の規定打席達成という復活したシーズンとなる。
が、故障には勝てず18年終了で引退となった。恩人である福良が勇退を決めたそのシーズンと同じに。そんなところまで二人三脚だった。
まず普通の生活ですら難しくなってしまう、パニック障害と付き合っていってレギュラー、タイトルまで取った小谷野栄一という選手。記録では2010年打点王しかないのだが、そういう人が居た。というのは覚えておいて欲しかったのです。
ちなみにオリックスの監督をやっていて、辞任した福良淳一という人は、阪急オリックス時代にはイチローと一緒に日本一にもなっている名セカンドでベストナインは2回 (1988年、1994年)と少ないですが、守備は実直でいつも嫌な場所に居ました。
コーチとしても、育成の手腕が評価されて森脇さんがオリックスの監督を休養したあとにオリックスの監督となり今に至りました。道半ばで辞任となりましたが、またすぐコーチや監督として球界に戻ってくる人材だと思います。
(阪神に欲しいw